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イーヴォ・ポゴレリチ ピアノリサイタル(2015年2月)

 昨日のテームズ河の写真は、実はコンサートに出掛けた際に撮ったものです。そのコンサートについて、書くかどうかかなり迷いましたが、どうしても自分の中で放っておけないので書くことにします。今日は写真はありません。

 行ってきたのは、イーヴォ・ポゴレリチのピアノリサイタルです。曲目は以下の通り。


F. リスト:巡礼の年 第二年「イタリア」より「ダンテを読んで」
R. シューマン:幻想曲
 -
I. ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」より三楽章
J. ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲
 
2015年2月24日
Royal Festival Hall, London


 ポゴレリチについては四年ほど前にチャイコフスキーの協奏曲を聴いて、絶望に終始した全く救いのない演奏に途轍もないショックを受けたことがあります。今回のリサイタルも、基本的な印象は全く変わらず。強烈な音量と音圧、そして極端に歪められたテンポで、音楽を真っ黒な絶望で塗りつぶすような演奏でした。
 ポゴレリチの描き出す世界はゴッホの絵のように歪んで陰鬱で、例えばリストの音楽の冒頭、強烈なオクターブの連続を聴いただけで、いきなり世界の底が崩れ落ち、地獄に向かって底なしの闇に突き落とされる思いになります。彼がシューマンの幻想曲の中の勇ましい行進曲を弾くと、それは絶望の掛け声高く虚無へと突き進む行進です。緩徐楽章で美しい音楽を奏するとき、そこには青白い光に浮かび上がる死者の平穏が見えてきます。ペトルーシュカでスケルツォ的な音楽を奏すると、ゴヤの絵の化け物じみた人々が偽善と嘲笑の踊りを踊っているような風景が眼前に浮かびます。
 
 私が体験したこれは一体なんなのか。目の前では確かにピアノ演奏が行われていましたが、これを音楽と呼ぶことを私はためらいます。「こんなものは音楽じゃない!」という否定的な意味ではありません。ポゴレリチが私たちの前に見せたのは、彼の心の奥に潜む絶望と狂気そのものであって、彼の心という入れ物の裏表をひっくり返してしまって、彼の中にあるもの全てを一面にぶちまけた場に居合わせたような、ポゴレリチという人間そのものと直接対峙する、そういう何かでした。
 ここでは音楽は単なる手段あるいは媒体でしかありません。聴き手が受け取るべきは、音楽ではなく、ポゴレリチの全人格です。(そして、それは途轍もなく重たいのです。)

 彼はなぜピアノを弾くのか。これについても考えずにはいられませんでした。心の傷から滴る血を絵の具にして、巨大でグロテスクな大伽藍を描き上げるような演奏は、聴いていて顔をしかめずにはいられないほどつらく、絶望的なものです。
 しかし恐らく彼にとっては、ピアノを弾くことは多少なりとも自分の心を彼自身に繋ぎ止めておくことのできる、敢えて言えば「救い」に近い行為なのだろうと私は想像します。彼は心の傷を広げるようなことをしてまで演奏しているようにも思えますし、その行為は決して彼にとって快いものではないはずですが、一方で彼から音楽を取り上げてしまうと、彼の心はもうどこにも行き場がなくなってしまい、本当に絶望の淵に沈むしかなくなってしまうのではないか。昨日の演奏を聴いていて、私にはそう思えました。

 これだけ型破りな演奏を立て続けに聴かされたあと、最後のブラームスは、いったい彼に何が起こったのかと訝るほどに、「普通」の演奏でした。それまでの演奏のようにとんでもない音量で鍵盤を叩きつけるように弾くのではなく、コントロールの行き届いた打鍵で充実した美しい響きが紡ぎ出されていきます。音楽は淀みなく流れ、多少エキセントリックな表現もないではありませんでしたが、途切れることのない歌が続きます。ポゴレレチが突然正気の世界に戻ってきたような、そんな演奏でした。
 この美しい演奏を戸惑いながらも聴いていて、私は途中でふと思いました。この曲は、ポゴレリチにとっては、今は亡き最愛の妻との個人的な思い出につながる、何か特別な音楽なのではないかと。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、彼は20歳ほど年上の、彼にとっては師匠でもあった女性ピアニストと結婚しました。彼女が亡くなり、その後立て続けに彼の父も亡くなった後、ポゴレリチは精神の安定を失って一時演奏活動から身を退きました。
 その後ポゴレリチは演奏活動を再開しましたが、彼の演奏が絶望に満ちたものになったのはその時からではないかと私は想像しています。しかしそんな彼も、自分が愛した女性とつながる美しい思い出だけは、黒く塗りつぶすことができなかったのではないか。私は彼の演奏からそういう印象を持ちました。回復できないほどに傷ついた彼の心の中で、わずかに美しい情景の記憶が保たれている場所を、私はブラームスの音楽を聴きながらのぞきこんでいたのかもしれません。

 この日の演奏会は会場が満員というわけではありませんでしたが、終演後はかなりのお客さんがブラボーを叫び、スタンディングオベイションも多く見られました。ただ、ポゴレリチ本人はそういう外面的な賞賛からは何も感じていないように見えました。彼が世間的な成功のために演奏していないことは間違いありませんし、個人的にはこれほど熱狂やスタンディングオベイションから遠い(というより、別の世界にある)演奏というのも他にないと思います。客席で私の隣に座っていた女性は、前半のプログラムが終わって休憩に入った後、後半の演奏に戻ってきませんでした。私にはこの反応の方が、よほど自然に感じます。

 ではなぜ私がこの日の演奏会に最後まで残っていたかというと、それは彼の演奏に、それがいくら絶望に塗りつぶされたものであったとしても、どうしても目をそらすことのできない何かを感じるからです。
 目の前に突き出されたポゴレリチという人そのものは、暗く、重くて狂気に満ちた、とてもではありませんが現実世界で関わりたいと思える人ではありません。それは音楽を通したところで何も変わらないのですが、それでも音楽によって濾過されることで、(辛うじてではあっても)何とか私が受け入れられるものになるのです。それは自分から進んで見たいと思うようなものではありませんが、見ておかなければならない狂気がそこにあるといった感じのものなのかも知れません。
 狂気は芸術の血液だと私は信じています。そうである限り、芸術の源である狂気がそこにあるなら、その狂気から目をそらすことは私にはできないのです。私も芸術に取り憑かれた人間です。私の中の小さな狂気が、ポゴレリチの巨大な狂気の重力に否応なしに引き付けられてしまうのは、好むと好まざるとに関わらず、自然なことなのかもしれません。


 以上が、ポゴレリチのリサイタルで私が感じたことでした。



* * *



 これまでの写真のうちのお気に入りをFlickrに載せています。
by londonphoto | 2015-02-26 06:45 | ロンドン - イベント