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シルヴィ・ギエムのLife in Progress
写真も何も無しで書きますが、先日シルヴィ・ギエムの引退前最後の公演ツアーとなるLife in Progressを観てきました。私自身はギエムの公演は過去に一度しか見たことがなく、彼女のことやコンテンポラリーダンス全般に詳しいわけでもありませんので、最初にブログ仲間の守屋さんの記事のリンクをご紹介します。
ライフ・イン・プログレス、5月26日@サドラーズ・ウェルズ
リンク先の記事にもあるとおり、4つの演目のうち、3つをギエムが踊り、残る一つを男性ダンサー二人が踊るという内容でした。実はこの日の公演で私が最も面白いと思ったのがこの男性ダンサーたちの踊るDUOという演目(振付けはウィリアム・フォーサイス)で、動きの魅力とリズム感に完全に引き込まれました。フォーサイスという振付家の名前を意識したのはこれが初めてですが、彼の他の演目をぜひ見てみたいものです。
さて、ギエムが踊った残り3つの演目ですが、一つ目のアクラム・カーンは、少なくとも私にとっては「ギエムが踊っている」ということ自体がほぼ唯一の魅力でした。カーンが何を考え、ギエムが何を目指して踊っていたのか私にはよく分からず、時おり見られるギエムの動きの切れ味に目を奪われるくらいだったというのが本音です。
続くHere and After(振付けはラッセル・マリファント)は、きれいではありますがあまり心に引っ掛かってこない作品。ギエムともう一人の女性ダンサーがほぼ同じ振付けで踊るのですが、二人を見比べてしまう分、どうしてもギエムの動きの揺るぎない説得力が際立っていました。
最後の演目はBye(振付けはマッツ・エク)という作品ですが、これは以前にも一度観たことがあります。舞台の中央に畳より一回り大きいくらいのスクリーンが置かれ、そのスクリーンが窓となって、そこに時おり映し出される映像とギエムの踊りがinteractします。率直に言って、これも私にとっては特に感動したり感嘆するというタイプの作品ではないのですが、ギエムがベートーヴェンの音楽を使ったというところに私は興味をそそられました。
ちょうどロイヤルバレエでアレッサンドラ・フェリの出演するマクレガーの舞台を見たばかりだったので、同年代の二人を図らずも並べて観ることができたわけですが、フェリが柔らかく流れるような踊りを見せるのに対し、ギエムは動作の連なりの滑らかさよりも、一つひとつの動きの造形的な美しさを重視した、より硬派な踊りだというのが私の印象でした。言葉を変えて言えば、フェリの方がより聴覚寄りで、ギエムの方がより視覚寄りと言えるかも知れません。(誤解の無いように書いておきますが、別にフェリが視覚的に美しくないとか、ギエムの踊りがうまく流れないという話ではありません。あくまで比較した上での傾向の話です。この視覚と聴覚という用語の使い方は、養老孟司氏の唯脳論を大いに参考にしています。話が逸れるようですが、唯脳論は一度は読む価値のある本です。)
この、流れよりも造形を重視するというのはベートーヴェンの音楽にも当てはまると思います。例えばモーツァルトの音楽はもう天性の歌であって、どこまでも淀みなく流れていくのですが、それに比べるとベートーヴェンの音楽にはがっちりと構築された造形があり、その分モーツァルトのようには容易に流れていかない何かがあります。これをきちんと「流す」には演奏する側にかなりの腕力が求められるのですが、必要な力が不足している場合には音楽が失速してしまうこともあります。(ただし必要な力を充分に掛けることができれば、巨大で重たい塊が凄まじい勢いで突進するような途轍もない奔流が生まれることもあるのですが。)
ギエムが彼女の最後の踊りに使った演奏は、イーヴォ・ポゴレリチの演奏です。録音は彼が20代の頃のものなので現在の彼のような強烈なエキセントリシティはありませんが、それでも独特の執着の見られるものです。ベートーヴェンの最後のピアノソナタの第二楽章(このソナタに楽章は二つしかありません)は、ベートーヴェンが人生をかけて到達した孤高の境地として表現されることが多く、一人で広大な天空を自由に駆け巡るような、極めて透明度の高い音楽として演奏されるのが「標準的」だろうと思います。しかし、普通のピアニストならさざ波のように流れる音として弾く部分を、ポゴレリチはしつこく一つひとつの音を際立たせて弾くので、思念が自身の執念の中に沈んでいくような独特の演奏となります。ベートーヴェンの音楽の演奏の中でも、あまりよく流れている方ではありません。
ギエムがベートーヴェンの音楽の、ポゴレリチによる演奏をどこまで意識して選んだのか私には分かりません。しかし、彼女が最後にこの演目を選んだというのは、少なくとも彼女がこのような音楽を自分に合うと思っていたからなのではないかと私には思えます。ギエムの舞台をほとんど見たことのなかった私には、ベートーヴェンの音楽を触媒にして、少し彼女の踊りの近くまで寄っていけたような気がした一夜でした。
ライフ・イン・プログレス、5月26日@サドラーズ・ウェルズ
リンク先の記事にもあるとおり、4つの演目のうち、3つをギエムが踊り、残る一つを男性ダンサー二人が踊るという内容でした。実はこの日の公演で私が最も面白いと思ったのがこの男性ダンサーたちの踊るDUOという演目(振付けはウィリアム・フォーサイス)で、動きの魅力とリズム感に完全に引き込まれました。フォーサイスという振付家の名前を意識したのはこれが初めてですが、彼の他の演目をぜひ見てみたいものです。
さて、ギエムが踊った残り3つの演目ですが、一つ目のアクラム・カーンは、少なくとも私にとっては「ギエムが踊っている」ということ自体がほぼ唯一の魅力でした。カーンが何を考え、ギエムが何を目指して踊っていたのか私にはよく分からず、時おり見られるギエムの動きの切れ味に目を奪われるくらいだったというのが本音です。
続くHere and After(振付けはラッセル・マリファント)は、きれいではありますがあまり心に引っ掛かってこない作品。ギエムともう一人の女性ダンサーがほぼ同じ振付けで踊るのですが、二人を見比べてしまう分、どうしてもギエムの動きの揺るぎない説得力が際立っていました。
最後の演目はBye(振付けはマッツ・エク)という作品ですが、これは以前にも一度観たことがあります。舞台の中央に畳より一回り大きいくらいのスクリーンが置かれ、そのスクリーンが窓となって、そこに時おり映し出される映像とギエムの踊りがinteractします。率直に言って、これも私にとっては特に感動したり感嘆するというタイプの作品ではないのですが、ギエムがベートーヴェンの音楽を使ったというところに私は興味をそそられました。
ちょうどロイヤルバレエでアレッサンドラ・フェリの出演するマクレガーの舞台を見たばかりだったので、同年代の二人を図らずも並べて観ることができたわけですが、フェリが柔らかく流れるような踊りを見せるのに対し、ギエムは動作の連なりの滑らかさよりも、一つひとつの動きの造形的な美しさを重視した、より硬派な踊りだというのが私の印象でした。言葉を変えて言えば、フェリの方がより聴覚寄りで、ギエムの方がより視覚寄りと言えるかも知れません。(誤解の無いように書いておきますが、別にフェリが視覚的に美しくないとか、ギエムの踊りがうまく流れないという話ではありません。あくまで比較した上での傾向の話です。この視覚と聴覚という用語の使い方は、養老孟司氏の唯脳論を大いに参考にしています。話が逸れるようですが、唯脳論は一度は読む価値のある本です。)
この、流れよりも造形を重視するというのはベートーヴェンの音楽にも当てはまると思います。例えばモーツァルトの音楽はもう天性の歌であって、どこまでも淀みなく流れていくのですが、それに比べるとベートーヴェンの音楽にはがっちりと構築された造形があり、その分モーツァルトのようには容易に流れていかない何かがあります。これをきちんと「流す」には演奏する側にかなりの腕力が求められるのですが、必要な力が不足している場合には音楽が失速してしまうこともあります。(ただし必要な力を充分に掛けることができれば、巨大で重たい塊が凄まじい勢いで突進するような途轍もない奔流が生まれることもあるのですが。)
ギエムが彼女の最後の踊りに使った演奏は、イーヴォ・ポゴレリチの演奏です。録音は彼が20代の頃のものなので現在の彼のような強烈なエキセントリシティはありませんが、それでも独特の執着の見られるものです。ベートーヴェンの最後のピアノソナタの第二楽章(このソナタに楽章は二つしかありません)は、ベートーヴェンが人生をかけて到達した孤高の境地として表現されることが多く、一人で広大な天空を自由に駆け巡るような、極めて透明度の高い音楽として演奏されるのが「標準的」だろうと思います。しかし、普通のピアニストならさざ波のように流れる音として弾く部分を、ポゴレリチはしつこく一つひとつの音を際立たせて弾くので、思念が自身の執念の中に沈んでいくような独特の演奏となります。ベートーヴェンの音楽の演奏の中でも、あまりよく流れている方ではありません。
ギエムがベートーヴェンの音楽の、ポゴレリチによる演奏をどこまで意識して選んだのか私には分かりません。しかし、彼女が最後にこの演目を選んだというのは、少なくとも彼女がこのような音楽を自分に合うと思っていたからなのではないかと私には思えます。ギエムの舞台をほとんど見たことのなかった私には、ベートーヴェンの音楽を触媒にして、少し彼女の踊りの近くまで寄っていけたような気がした一夜でした。
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